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2003.10.14
本気で高校教師になろうとした時期がありました。
絵の具とタバコの匂いのする美術室のアトリエにいつもいて、生徒たちが用もないのに訪れてくれる ふうてんの先生にあこがれたのです。。
きっかけは、中学の国語の先生から勧められたからでした。
二年生の春、その先生はやってきました。
ふくよかな体つきにジャージ姿は実に滑稽で、よく笑いよく怒る人でした。
肝っ玉母さんみたいに みんなから慕われていました。でも、怒ると本当に恐かった。 生徒の見分けができるようになった頃から その叱り方は尋常ではなくなりました。的を得ているので首根っこを抑えられた猫みたいに、どんな不良も歯がたちません。
ずっと後になって知らされたことですが、そのときすでに先生の体は癌におかされ、どうにも仕様のない状態だったのだそうです。そういえば痛みをこらえるようにうずくまっている姿をよく見かけました。
何も知らない僕たちは、校舎の階段を本当に辛そうに上がっていく横を駆け上がって
「先生 もーちょっとやせなー!」
とよくからかったものです。
二学期が終りかけた頃、授業の途中に突然一人一人の名前をよび、思うことをそれぞれに話し始めたのです。
「あんたは体は小さいけど、根性がある。自分を信じて言いたいことをどんどん言える大人になりなさい。」
「あなたはもっと本を読みなさい。頭が良くたって心が貧しかったら何の役にも立たないのよ?」
まるで今日でお別れするみたいな物言いに
「急にそんな遠い先の話しして 先生おかしいわー。 」
ざわついた教室に
「黙って聞きなさーい!」
真に迫る大声が響いたのです。唇を震わせながら全身全霊からほとばしる、願いをこめたその迫力に全員が押し戻されました。
そのときのことを思うと …… 今でも涙があふれそうになります。
そして あたくしには
「先生になりなさい。先生になって勉強なんて教えなくていい、
生きるということを教えなさい。
あんたは絶対先生になりなさい。」
クラス全員の名前を呼んで授業は終りました。
それ以降 先生は休みがちになり、とうとう来なくなったのです。
やっと 担任の先生から病気のことを告げられました。先生はもう帰ってこない……と。
先生が亡くなったのは、それからまもなくのことでした。あれが最期の 最後にふるった教鞭だったのです。
あの薬がいいとか、あの医者に見てもらえとか、挙句にこの宗教に入りなさいとか……。いろいろ勧められたに違いありません。藁にもすがる思いで、すべてを投げ打って闘病生活を送るのが世間の習いでしょう。
もしかしたら、それで死なずにすんだかもしれませんし、少し長生きできたかもしれません。
けれど、死なない為に生きるのではなく、短くとも、生きるために生きる そんな余命の燃やし方を先生は選んだのかもしれません。
もし、あなたの家族がそんな定めを背負ったとしたら、そしてそんな生き方を選んだとしたら……どうします?
季節はずれの真っ赤な カンナの花を見るたびに あの先生を思い出します。これまでの人生で悔いがあるとすれば 教師にならなかったことでしょうか。
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