
|
何十年かぶりに生家を訪れた

|
すでに棲む人はなく 荒れ果て とりこわしを待つだけの廃屋となっていた
遠い夏の日
あの日も 暑い一日だった
|
この庭で 他と明らかに違う存在「自分」に気が付いた
それは 母の植えた花に飛び交う虫たちを見ているときだった
自我の目覚めだ
|
|
だが、成長するにつれて 誰もがそうであるように
自己認識の軌道修正を余儀なくされた
知りえる自分という存在が 環境にそぐわないからだ
自己の根幹から分解し見直して再構築する
これを自己の再統合 Identity と呼んでいる
私は多くの場合 自分を変えて調和をはかる道を選んだ
|
ときに迎合することもあったかもしれない
また、媚び諂うこともあったかもしれない
進んでは戻りして どうしても我慢ならないときは

…… その場を去った
これまでに 何度アイデンティティを繰り返してきたろうか
そしてこの先 何度繰り返すだろうか
私もいつの日か この庭を去るときが
来る
夏祭りを終えた社の傍らで 青い銀杏がひっそりと その時を待っていた
No.03
No58
2003.8.20
|